理レポ「森先生と理科通信」1627
2022年6月3日 06時00分「森先生の出会いで思い出したこと」5/31
教育実習に三島小学校にやってきた森先生は、三島小学校の卒業生です。
5月30日の朝、職員玄関で顔を会わせたときに
「田中先生、お久しぶりです。15年前に三島東中学校でお世話になりました。」
「理科の担任ではありませんでしたが、生徒会でお世話になりました。」
「本が出てから2年後の生徒会です。」
記憶の中で、いろいろな顔画像が重なり、森先生を特定できません。ごめんなさい。
「その時の生徒会には西岡〇〇とか・・・。井川とか・・・。」
うーん。記憶から浮かんできません。
「庄司〇〇・・・・。」
庄司さんの姿が浮かびました。彼の最初の生徒会役員会での発言が再生。
「辛い経験があって、自分の弱さを克服するために生徒会役員に立候補しました。」
★1年交代だったのに、転任するまで生徒会担当でした。たくさんの生徒会役員と出会いました。
森先生のことも、そのうち思い出すかな?
薦田先生と話をしました。
「三島東中でも理科レポートを出していたとか?」
「“理科通信”を出していました。」
「それの本も出たとか?見たい・・・。」
自宅から持ってきます。
今見ると、「字が多くて、雑な通信だったんだなぁ。」でも、なつかしい。これが私の理科の原点。
★画像を見た西本先生から
「これは中学校ですか?」「三島東中の理科通信です。」
理科通信の最初は授業報告でした。
「中学校は違いますね。」
この後、理科通信の中心は自主レポートと小論文に変わります。
先週、星川先生から聞いた話。
「保護者が、田中先生が帰るところを見て“田中先生だ!”と言っていました。」
「“理科通信に載りたくて頑張っていました。”“なつかしい。”と言っていましたよ。」
三島東中学校で関わった生徒が親になり、その子どもが、3年生に二人はいます。もっと多いのかな?
★昨日、この保護者と会えました。
予想と違って長い髪の女性でした。
「名前は〇〇です。」
「うーん、思い出せません。」
「たくさん生徒がいましたからね。」
思い出せないと無念な気持ちになります。