三島小ダイアリ
長月1日 防災の日
1923年(大正12年)9月1日に発生した関東大震災を忘れることなく、災害に備えようと1960年に定められました。1959年には伊勢湾台風により大きな被害が出たこともあり、翌年に定められたのだそうです。
ということで、四国中央市の防災訓練がしこちゅ~ホールで行われました。
ちょうど行ったときには、防災ヘリの訓練を見ることができました。
さて、明日から2学期がスタートします。
44日の夏休みもあっという間だったのではないでしょうか。
保護者の皆さんは、「やっと学校が始まる。」と一息つかれている方もいるかもしれませんね。
5年生に新しいお友達が1名転校してきます。
また、新しくALTの先生が2名、三島小学校に配置になります。
行事のたくさんある2学期です。
まだまだ残暑が厳しいですが、
一生懸命頑張りましょう。
先生たちは、皆さんが元気に登校してきてくれることを
心待ちにしています。
≪工事情報です≫
北校舎北側
地下道から出ると足元は悪いですが、
いつも通り通ることができます。
北校舎の北側に出入口をつくる工事が続いています。
赤テラスからは運動場を通ることになります。
中央5丁目の人たちも歩道を通って正門に回ってください。
東庭は、工事のため子どもは通行できません。
登校旗はいつものところにさしてください。
かしの木の下を通ってくると児童玄関があります。
左側の入り口が1・2年生です。
右側の入り口が3~6年生です。
新しいくつ箱に名札を貼っていますのでそこに入れましょう。
しばらくは、雨が降ると少し大変かもしれません。
様子を見ながら業者と相談したいと思います。
明日は、教員がポイント、ポイントで誘導します。
元気に登校してくださいね。
三島小ダイアリ
伊予三島駅のすぐ南側の三差路に、へんろ道の道しるべがあります。
正面には
「右遍んろみち 六十五番三角寺迠五十丁 施主 井本」
右面には
「大正十二年三月」と刻まれています。
1丁は約109m。50丁ということは5.5kmの道のりです。
本来のへんろ道は中之庄のへんろ分れと呼ばれるところから中曽根小あたりを通って、上柏に続くルートです。そのため、中曽根地区には多くの道しるべが残されています。
この駅前の道しるべは、へんろ道に続く枝道を示したものだそうです。三島小学校の角を南に向かえば中曽根小学校辺りでへんろ道と合流することができます。また、朝日にも枝道が残されていて、朝日発電所の前を南へ向かえば、上柏でへんろ道と合流することができます。
以上で先生の自由研究は終わりです。
三島小ダイアリ
葉月30日 富士山観測所記念日
1895年(明治28年)8月30日、気象学者の野中至さんが、富士山頂に私財を投じて日本初の富士気象観測所を建設した日。10月から冬季気象観測を開始したそうです。
さて、一昨日
6年生の保護者を対象とした
人権・同和教育学習会を行いました。
6年生が2学期から取り組んでいく同和問題学習。
その内容を説明し、その後、グループ協議を行いました。
学校と保護者が一体となって
差別や偏見をなくしていこうとする子どもたちを
しっかりと育てていきましょう。
お忙しい中、また天候の悪い中、
保護者の皆様、ご参加ありがとうございました。
三島小ダイアリ
川之江から土居町まで続く宇摩平野。
かつて、四国中央市は宇摩郡と呼ばれていた。
「宇摩」の地名は、古く、初めて文献に出てくるのは708年、飛鳥時代のことである。
宇摩郡の常(津根)里の金集史挨麻呂(かねあつめのふひとやからまろ)が、弟を飛鳥寺で受戒させたという記録が残されている。
また、岡山県立博物館には、馬評(うまのこほり)と文字が彫られた須恵器が保管されている。
「馬評」が「馬郡」になり、
713年に地名を好字二文字にするようにという令が出され、
「馬」が「宇摩」になったと考えられている。
「宇摩」の地名は1300年以上続く、伝統ある地名でなのある。
お知らせ
葉月29日 ベルばらの日
1974年8月29日、宝塚歌劇で「ベルサイユの薔薇」が初演された日。
さて、写真は、新しい児童玄関の様子です。
まだまだ工事は続いていますが、
新しくつ箱が入りました。
9月2日の始業式から使います。
夏休みの残すところ4日となりました。
2学期初めの一週間の週行事予定をお知らせします。
≪週行事予定≫
1日(日)
2日(月)始業式 地区児童会 PTA理事会19:00~
3日(火)午前中授業 給食開始 身体計測6年
4日(水)身体計測5年
5日(木)身体計測4年 委員会活動 陸上運動特別練習開始
6日(金)身体計測3年
7日(土)
8日(日)
三島小ダイアリ
三島小学校の南に東西に連なる山々。
法皇山脈です。
800m~1500mほど山が連なります。
四国中央市を東西に貫き、
法皇山脈の南側、四国山地との間に挟まれた地域を嶺南地域。
それに対して法皇山脈の北側、
瀬戸内海に面した地域を嶺北地域とも言います。
法皇山脈の名前の由来は、
平安時代、白川法皇が京都に寺院を建立する際に、
宇摩地方のこの山から献上した木材が非常に優れていたということで、
「法皇」の名をつけることを許されたという説をはじめ、
諸説あります。
三島小ダイアリ
葉月28日 テレビコマーシャルの日
1953年(昭和28年)の今日、日本初のテレビCMが放送されたそうです。民法放送が始まったのもこの日です。初めてのテレビCMは、服部時計店(精工舎)のもので「精工舎の時計が正午をお知らせします」という内容だったそうです。
さて、23日に松山市で地域学校協働活動関係者等研修会があり参加してきました。
横浜市立すすき野中学校支援会とつるぎ町未来塾の方から報告がありました。
地域と連携・協働しながら子どもたちを育てていく取組。
来年度からコミュニティ・スクールの導入を考えている本校にも
とっても参考になる報告を聞くことができました。
また、午後からは。ワークショップを行いました。
学校と地域が連携していく上での課題は?
課題を解決するためにどうすればよいか?
4人グループでのワークショップでしたが、
各地区で学校との連携にご尽力されている方々だったので
建設的な意見をたくさんいただきました。
子どもたちのために
学校と家庭・地域が同じ方向を向いて
役割分担しながら、しっかり取り組んでいきたいと思います。
三島小ダイアリ
葉月27日 男はつらいよの日
1969年(昭和44年)8月27日、渥美清主演、山田洋次監督の「男はつらいよ」の映画、第1作が公開された日です。もともとはテレビドラマとして放送されていたもので、それが映画でシリーズ化されたのだそうです。
大王製紙の臨海工場の入り口
国道11号線が赤之井川を渡る西側に小さな社が建っている。
河上但馬守(かわかみたじまのかみ)遺跡である。
河上但馬守をまつる小さな社で、古くから吃音を治す神様として地元の信仰を集めている。
川之江城主だった河上但馬守は、1582年、三島神社に詣でての帰り道、村松の八綱浦において、上分の轟城主大西備中守急襲を受け、吃音のため助けを呼ぶことができずに打ち取られたという伝説が残っている。
この時、但馬守の娘、年姫は、父の後を追って、川之江城の断崖より白馬にまたがり燧灘に身を投じたという悲話伝説も残っている。
川之江城の駐車場の手前に「姫ヶ嶽」の石碑があり、道路を挟んで反対側には、「姫ヶ嶽 海に身投ぐる いや果ても うまして入りぬ 大名の娘は」という与謝野晶子の歌碑もある。
河上但馬守の墓所と年姫の供養塔が、川之江城の麓にある仏法寺に残されている。
三島小ダイアリ
葉月26日 五大陸最高峰登頂の日
1970年8月26日、登山家植村直己さんが世界で初めて五大陸の最高峰登頂に成功したそうです。ヨーロッパのモンブラン、アフリカのキリマンジャロ、南アメリカのアコンカグア、アジアのエベレスト。そして最後が北アメリカのマッキンリー。この業績などがあり、植村直己さんは、国民栄誉賞を受賞されています。
さて、23日に「いじめSTOP愛顔のこども会議」が
消防防災センターで行われました。
三島小学校からも3名の6年生が参加し、
三島小学校の取組を発表しました。
「あいさつ運動」「異学年交流」
「なかまコーナー」「きまりを守る」
の4つのことを発表しました。
その後、グループで話し合いを深めました。
2学期以降、
子ども会議で出された意見も取り入れながら、
よりいじめのない、思いやりいっぱいの
三島小学校になるよう頑張っていきます。