コミュニティ・スクールとして(2学期)
2020年12月17日 17時17分今年度は三島小コミュニティ・スクール元年。
新型コロナウイルス感染症のために様々な活動が制限された中、2学期から地域や保護者の力をお借りした活動が始まりました。
まずは、無理なくできることから。これまでの活動に少しずつ肉付けしながら進めてきました。学校支援ボランティアを活用する場面を十分に創出できていませんが、今、成長途上の三島小コミュニティ・スクールを今後ともよろしくお願いいたします。
今年度は三島小コミュニティ・スクール元年。
新型コロナウイルス感染症のために様々な活動が制限された中、2学期から地域や保護者の力をお借りした活動が始まりました。
まずは、無理なくできることから。これまでの活動に少しずつ肉付けしながら進めてきました。学校支援ボランティアを活用する場面を十分に創出できていませんが、今、成長途上の三島小コミュニティ・スクールを今後ともよろしくお願いいたします。
今日の献立は「冷凍コッペパン、タンドリーチキン、冬野菜のスープ煮、ふかし芋、牛乳」でした。
ふかし芋は、食物繊維たっぷりで自然の甘味がたっぷり!子どもたちが大好きなさつま芋です。
昔は、おやつにもよく食べられていた懐かしい味を子どもたちに知らせるために、給食センターのスチームコンベクションオーブンで蒸しています。
さつま芋は収穫してから、保存することによって甘味が増すので、今からが1番おいしい季節です。
ほっこりした温かみがうれしい焼き芋や、ふかし芋などを、季節のおやつに取り入れてみてもいいですね。
昨日、ホームセンターで材料を買ってきて、なわとび練習台を4台製作し、運動場の東側に設置しました。
製作したと言っても、コンパネ2枚を9cm角の木材に六角ボルトで固定した簡単なものです。怪我を防止するため、四隅にゴムの角あてを取り付けました。
この練習台は板が跳ねるので、長い時間跳びあがっていることができます。跳んでいる間に、縄を2回まわすと二重跳び、3回まわすと三重跳びの感覚をつかむことができます。
寒くなり、縄跳びのシーズンがやってきました。練習してより高度な技をできるようになってください。(^^)/
「三島小コミュニティ・スクールだより 第17号」を発行しました。どうぞご覧ください。
12月11日(金)の学校保健委員会は、「睡眠」がテーマでした。
まず、保健委員会の児童が、「すいみん習慣調べ」の集計結果を基に発表しました。次に、睡眠健康指導士の石津校長先生が講師となり、「なぜ睡眠が大事なのか」を分かりやすく教えてくださいました。その中で、睡眠のための「満点朝ごはん」の重要性は鶴井栄養教諭が説明しました。それらの話を聞いて、参加した4年生以上児童は、自分の生活を見直し、改善していこうと進んで発表しました。最後に学校薬剤師の種田さんが、専門的な見地から睡眠の重要性を話してくださいました。
詳しくは、「学校便り」「学校保健委員会便り」をご覧ください。
本日、カミ商事様からマスクの寄贈があり、全校児童に8枚ずつ配りました。余った分は保健室で予備のマスクとして保管します。
誠にありがとうございました!
4年「G.suiteでグラフを作る」12/4
2組は2回目です。思っていたより上手に実験しているのが分かりました。
〇 Aさんが、間違っているところを教えてくれたので、うれしかったです。Bさん
〇 初めて、作ったグラフを「ええグラフじゃ。」と言われたのがうれしかったです。Aさん
★ Aさん、クラスルームに入るのが最速!
〇 グラフから過冷却になっていると知りました。0℃で一度温度が止まります。Cさん
〇 私たちの班は過冷却になっていました。グラフを見て気付きました。Dさん
〇 G.suiteの提出の方法を覚えます。こうがさんが教えてくれました。Eさん
〇 G.suiteでグラフづくりは最初はあまりできませんでした。慣れてきて、今日は完璧にできて、うれしかったです。Fさん
〇 なおさんと係を決めてグラフを作れて、よかったです。Gさん
〇 0℃まで冷やすと温度が下がるのが止まったので驚きました。Hさん
〇 -3と入力したらバグって、回数47まで飛ばされて災難でした。Iさん
★ 2回目のG.suiteでグラフ。1回目よりずっと早く作れました。提出の方法も覚えていたね。
「昭和南海地震から74年 神郷公民館だより」から抜粋し要約」12/5
太平洋戦争終戦の翌年、1946年(昭和21年)に起きた南海地震から74年。
この地震は12月21日午前4時19分、マグニチュード8.0。
愛媛県での震度は4~5。9分間ゆれた。前の南海地震から92年ぶり。
愛媛県で死者26人、負傷者2632人。新居浜で死者1人、負傷者32人。
愛媛県の瀬戸内海沿岸では地盤沈下で40~50cm沈下した。
新居浜の水田地では1m地盤沈下して大きな被害を受けた。
*画像は高知県での被害。高知県では死者・不明が376人。(高知県庁HP))
6年生では、「大地の変化」の終わりで南海トラフ地震の話をしました。
四国中央市は前回はどうだったのでしょう?
今度の南海地震はのマグニチュード(M)の想定は9.1。前回はM8.0。1違うとエネルギーは33倍違います。
ちなみに東日本大震災はM9.0。そして前回から74年たちました。
現在は「地震予知は難しい。起こる前の備えをする。」という対策です。
2015年の時点で32万人の死者・不明者の予想。減らすことはできます。
6年女子1位が新記録、2位がタイ記録でした。
6年男子1位がタイ記録でした。
「戦死する軍人の年齢は」11/15 (戦死するのは軍人だけではありません。)
この日の朝、瑞應寺でバード・ウオッチング。
鳴き声を求めて奥に入ると、日露戦争で戦死した人の古い墓石を見つけました。石に刻まれた文=碑文を読むと、亡くなった時の年齢が23才。
「若いなぁ。」と思ったのが始まり。
軍人の墓石は四角錐で、てっぺんが尖った形をしています。墓石の形を頼りに、ほかの軍人の墓 の碑文を読んで回りました。20代が多い。
疑問を持ちました。「戦死する軍人は、若い人ばかりなのか?」
瑞應寺と真光寺の二つの墓地を半日かけて調べました。軍人の墓は91基ありました。
最少年齢は15才。今の中学3年生。最高年齢は42才。多くは20代です。
日露戦争の墓は一つ。ほかは太平洋戦争での戦死した軍人の墓がほとんどです。
碑文には「いつ入隊し、どこの部隊にいて、どこで戦闘し、どこで・どんな負傷をして、いつ 戦死したか」などが、墓石に刻まれています。「むごい」「悲しい」と思う記録があります。
戦死の場所のほとんどは中国や東南アジア、太平洋の海。軍人の墓石以外は、これほどの詳しい碑文は刻まれていません。残された家族の「戦死した息子が、生きていた証を残したい。」という悲しみと無念を感じます。
19才の海軍飛行兵曹のお墓を一つ見つけました。昭和19年12月25日没。戦争末期です。
特攻での戦死?新居浜にも特攻隊の戦死者がいたのか?・・・と、戦争を身近に感じた一日でした。
画像は海軍一等飛行兵曹の墓石
5年生男子の1位と2位が新記録でした。
5年生女子の1位は新記録でした。